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| 第一回 | 1/55 |
| 突風 一 馬だ。馬だつ。――馬だつ。 軒下へ、駆けこめ、横丁へ逃げろ。馬だつ――馬だつ。 駆込んで、振向くと、馬は、閃く影の塊だ。大写の翔ける影は、一瞬にして、一町先きの遠景になつてゐる。 響だ、響だつ――響だつ。鉄蹄のけたゝましい響に、耳を立てた家の中の人々が、往来を見ると、一閃した塊の馬の影は、風を捲いて、残つてゐるのは、微な土煙だけだ。消え残つた蹄の音だけだ。 燕のやうに、素早く、小さく――遥かへ、馬と、一人の侍とは、飛んで行く。 「何だらう」 「何事が起つたのだらう?」 「殿様の御葬式の日ぢやないか」 「あの侍は、家中の要石と称められてゐる奥平伝蔵ぢやないか」 「伝蔵ともあらう人が、何うしたのだらう?」 寛文八年の三月二日、空は、花時の薄曇りだ。山々は陰鬱なおもゝちをして、今日の葬式を眺めてゐる。風は、忍び足にきて、樹々へ、葬式の挨拶をして行く。 場所は、下野国宇都宮、葬式をされる人は、宇都宮の領主、高十一万石、奥平美作守忠昌、長篠に籠城して、武田勝頼滅亡の原因を作つた、徳川名代の奥平の子孫だ。 宇都宮の町々は、箒目が正しく、軒には黒幕、街も人も、犬も――山も、空も、風も静粛だ。静粛でないのは、辻々を固めてゐる足軽の目だけだ。 辻々の足軽は、けたゝましい馬の影、響に、六尺棒を斜にして、鋭い眼を光らせた。 「何奴だ。今日び――憚りもなく――」 遠景から、忽ち、近景へ。馬も人も、怪魔の飛翔だ。足軽は、棒を引込めて、周章て、叩頭をした。 「伝蔵様だ」 「何うしたのだらう」 「何が起つたのだらう?」 美作守は、伝蔵を、若者等の要石だといつてゐた。二十を少し過ぎたばかりだが、武道は天賦。文は、奥平内蔵允の寄子として、十分の教養を受けてゐる。 その伝蔵が、刷毛先を乱し、眼を据ゑて、流星の如く、街をかすめて走つたのだ。 葬式は、もうすぐ始まるだらう。河原町の興禅寺だ。 「何か、お寺で起つたかな?」 一人が軒下を出た。二人になつた。三人、四人、七人――十人。それから、歩いてゐたのが、小走りに――それから、駆け足に、 「何か、大変な事が起つたにちがひない」 人々は、走り出した。 「待て、待てつ。当日を、何と心得てゐる」 足軽は、六尺棒を、横に、人々の前で怒鳴つた。 「へつ――済みません」 二三人は、叩頭をして、端折つてゐた裾をおろした。 「つゝしめつ」 と、足軽は、叱りつけて、棒を引いた。また、叩頭だ。 「通れつ」 一人が、振向いて、聞えない距離だと思ふと、 「へつ、威張るない。兵六玉め」 と、呟いた。 「何でせうな」 「とにかく、大変な事にちがひない」 「さうでせうな――おいおい、また急ぐ。案山子野郎が、また睨んでゐるぢやないか」 弥次馬は、興禅寺の方へ急いだ。 だが、寺近くの軒下に充ちてゐる人々は、静かだつた。何も起つてゐさうになかつた。寺の土塀をめぐらしてゐる幕は、静かに、その裾を飜してゐるだけだつた。 |
| 二 虫の居どころが悪かつたのだ。 奥平隼人ともあらう人が、我儘な不良娘のやうに、疳を立てゝゐた。何故だか、自分にさへ判らなかつたから、勿論、他人には判らなかつた。 隼人の家は二千石だ。父の奥平大学は、所謂、奥平七家の一人として、奥平信昌と共に長篠に居た人だ。陪臣でも、所謂、大御所御声がゝりの陪臣だ。主人でも、一存では処分の出来ない家柄だ。 だから、虫の居どころが悪いと、十分、自由に当り散らしたつて、誰も、咎める者がなかつた。そして、隼人はまた、十分に、剛気だつた。豪勇無双の武士だつた。 然し、しばしばさういふ強い聯隊長が、彼の女房の前で、皺くちやになつてゐるやうに――いや、この日、奥平隼人は、女房に当り散らされて、早朝に邸を出なくてはならなかつた。 そして、馬に乗つて、門を出て仕舞ふと同時に、女房の前で、縮み上つてゐた虫は、すつかりお冠を曲げて、のさばつて、まづ第一に馬の腹を、どかんと蹴つた。 興禅寺の門の形が気に入らなかつた。取次侍の叩頭が疳にさはつた。坊主の青々とした頭が気に入らなかつた。 巌丈な、薄暗い、一門の控へ室へ入ると、小姓二人と、下侍三人が、周章てゝ叩頭をした外、室は白々と、冷たかつた。隼人は、 「少し、早すぎた」 と、心の奥の隅で、微かに呟いたが、虫はさういふ事に頓着なく、 「自分が、こんなに早く来てゐるのに、怪しからぬ奴共ばかりだ」 と、尖つた。 「お早々から御苦労に存じます」 と、三人の下侍が、両手を突くと、一人の小姓が、茶を、一人は菓子を、摺り足に捧げてきた。 隼人は、侍の敷いた座蒲団の上へ、芝居の緞帳が降りるやうに渋く、悠つくりと、座つて、ぢろぢろ周囲を見廻した。 「何うぢやな」 と、いつも、笑ひかける隼人が、 「振袖が長すぎるのう」 と、咎めるやうな口調だつたので、一人の小姓は、茶を溢しかけた。家老、奥平備中が入つてきた。 「これは、隼人、いつになく早いのう」 老人は微笑して、 「何うぢや、奥方は?」 と、扇を膝へ立てゝ、何をむづかしい顔をしてゐるのだらう?と、云ふと、 「今日は、日が日で御座る」 と、隼人は、外方をむいて、突放してしまつた。備中老人は、ぴりつと眉を動かしたが、すぐ口を曲げて、天井を眺めた。室は、沈黙だ。冷たい灰色だ。 それから、暫くたつと、人々は、次々に廊下へ音させながら、参集してきた。そして、いつになく苦い顔をしてゐる、隼人一人を除け者にして、忠昌に殉死をした杉浦右衛門兵衛の事について、心配さうに話をしかけた。 「御一同様、おそなり申しました」 若い声に、人々が廊下へ振向くと、奥平内蔵允の息源八郎、前髪立ち、水色の麻上下、振袖をきて両手を突いてゐた。十四だ。美少年の特異な魅香が、放散してゐた。 「内蔵は?」 隼人は、人々の肩越しに、眼を光らして怒鳴つた。 「所労の気味にて――」 と、まで、いふと、 「また、所労か?」 と、隼人の声には侮辱と、冷罵が含んでゐた。源八郎の顔に鋭い神経が動いた。人々は、隼人をたしなめるやうな眼で、ちらつと彼を見た。隼人は双腕を組んで天井を眺めてゐた。 |
| 三 「また、所労か――」 と、冷笑されても仕方のなかつたことは、仕方なかつた。奥平内蔵允は、胃病と、肺結核と、脚気と神経衰弱とを備へてゐた。 然し、とにかく、かういふ場合に、さういふいひ方を、こんな子供にすべき物では、勿論なかつたが――がだ、虫のせゐで、それも仕方がなかつた。さうして、武士の意地を重んじる隼人は、人々の眼を感じると共に、虫に加勢して、 「葬式だからよいが、戦場では勤まらぬぞな。源八――」 と、附け加へた。源八郎は、さういふ言葉を、侮辱だとは感じたが、それに対して、何ういつていいか判らなかつた。 障子の小蔭になつてゐる廊下から、一人が顔を出すと、 「時刻に遅参申さぬ以上、寛怠とは申されますまい」 と、低いが、強い声だ。人々が、胃の腑を、少し固くして、そつちをみると、奥平伝蔵、二十二歳だが、六尺一寸、戦闘的な瞳を隼人へ向けてゐた。 「何?」 隼人は、三十五歳だ。二千石だ。腕なら負けやうとは思はない。 「わはゝゝ」 と、一つ、笑つた。 「怒つたか?――内蔵めに申せ。学問もよいが、余り過ぎると、文字当りと申す病になるぞ。時刻に遅れねばよいと、申しをつたが、――伝蔵」 隼人は、ぢろりと伝蔵を刺した。 「戦場はのう、馬に乗り、槍をもつて、衆より先に乗込むものぢや。文字当りの身体で、衆と一緒によちよちしてゐて、奥平一家上席が勤まると思ふか? あゝん、伝蔵。あはゝゝ」 ぷいと、横を向いた。伝蔵は、心臓を熱くした。神経と、血とが、頭へ集まつた。 「内蔵允が、戦場で、働けるか、働けぬか、いつ、御承知なされた?」 伝蔵の眼は、鋭角的だ。眉と、こめかみも憤慨した。 「病は病、戦場は戦場――」 伝蔵が、いひかけると、隼人が大声で、 「小姓、茶をもて――」 と、怒鳴つた。 「内蔵允は――」 「判つた、判つた。定めし、美事な一番槍を入れるであらう――早く持て――」 伝蔵の眼から、憤怒が飛んだ。 「隼人つ――ち、恥辱を与へる気かつ」 片膝が立つた。隙の無い構だ。源八郎が、袖を押へた。 「伝蔵つ――お主つ」 兵藤玄蕃といふ老人が、伝蔵を叱つた。 「彼方へ参れ。お前のくる場所でない」 と、隼人は、伝蔵へ、頤を突出した。玄蕃が立上つて、伝蔵の眼を、隼人からさへぎつた。二人の眼が、上からと、下からと、閃き合つた。伝蔵は、額を蒼白ませて、 「御一同様、御無礼を仕りました」 と、挨拶すると、立上つて、本堂の方へ去つた。 「隼人」 国家老筆頭、奥平出雲だ。 「つゝしめ、大人気の無い」 隼人は、微笑した。彼の虫は、すつかり居所をよくしてゐた。 「わはゝゝゝ――源八、悪く思ふな。こつちへ入れ、うむ」 隼人は頤を撫でゝ、茶を飲んだ。 馬だ。馬だ。伝蔵は、馬に乗つて門を出た。今日の日を知つてゐたか、いつの間にか、馬は奔駆してゐた。馬の上で、伝蔵は、混乱した堪へ切れぬ物を、頭一杯に感じてゐた。 |
| つづく |
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